9月11日、東京国際フォーラムホールCで初日の幕を開けたピナ・バウシュ来日公演。この公演は、ピナ・バウシュ財団、エコール・デ・サーブル、サドラーズ・ウェルズ・シアターの共同製作により、アフリカ13ヵ国のダンサーを起用したカンパニーをパルコが招聘。同カンパニーによる『春の祭典』は世界15ヵ国で上演されている。
日本公演ではピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団のゲストダンサーを務めたエヴァ・パジェによるピナの初期作品『PHILIPS 836 887 DSY』、『春の祭典』に出演するダンサーを探すのに協力したコンテンポラリー・アフリカン・ダンスの母、ジェルメーヌ・アコニーによる『オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ』も上演された。
舞踊シーンの革新者として知られるピナ・バウシュが2009年に逝去したあと、彼女の子息サロモン・バウシュ氏は、次の世代がピナ作品を経験できる機会を確実に創出するためピナ・バウシュ財団を設立。ピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団のダンサーや元ダンサーを派遣、新世代のダンサーやダンスカンパニーとコラボレーションを展開してきた。本公演もその試みから生まれた作品の一つ。
2006年のピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団の来日公演から18年。この公演の実現に、カンパニーとパルコはどのように取り組んだのか。公演初日レポートに加え、ピナ・バウシュ財団創設者のサロモン氏、そして制作スタッフへのインタビューをお届けする。
- Photo
- Maarten Vanden Abeele © Pina Bausch Foundation
- Text
- Atsushi Kosugi
Index
- P.1ピナ・バウシュ『春の祭典』、『PHILIPS 836 887 DSY』/ ジェルメーヌ・アコニー『オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ』来日公演 レポート
- P.2サロモン・バウシュ(ピナ・バウシュ財団 創設者・理事)/プロデューサーチーム インタビュー
ピナ・バウシュ『春の祭典』、『PHILIPS 836 887 DSY』/ ジェルメーヌ・アコニー『オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ』来日公演レポート
会場が暗くなると、電子音楽の先駆者であるフランスの音楽家、ピエール・アンリの楽曲が流れ、最初の演目『PHILIPS 836 887 DSY』が始まる。ダンサーはピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団でゲストダンサーを務めたエヴァ・パジェ。この作品はピナ本人によって1971年に初演。タイトルはピエール・アンリのLPアルバム品番から取られたものだ。
規則正しい電子音の中、抑制の利いた照明を受けてエヴァの身体が浮かび上がる。しゃがみ込んだ状態から、地を這うような姿勢で両手を伸ばし、足を大きく開いて横に動くエヴァ。自分の身体を確かめるように、ゆっくりと立ち上がる。腕を小さく、そして大きく回した次の瞬間に加速し回転する身体。全身を使ったゆるやかな動きへ移り、変幻自在に音と向き合う。
エヴァは高い集中力で交錯する旋律を受け止め、せめぎ合う。舞台に横たわる瞬間もその身体は常に張り詰めている。立ち上がり左足を前に出し、右手で胸を叩くシーンでは、音楽と異質の生の音が会場に響きわたる。音楽に身体で対峙するピナの原点が感じられる、緊張に満ちた作品だ。
二つ目の演目はジェルメーヌ・アコニーによる『オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ』。「祖先への敬意」というタイトルを持つこの作品は死、そして死の世界に旅立った者との対話を描く。導入部でジェルメーヌは、コンテンポラリーな動きを挟みつつ、ロウソクやクッションなどを使い、日常的なシチュエーションから観客に語りかける。
円を描くように歩きながらタルクを撒くシーンは、セネガルから海を渡って旅立ちながら、途中で命を落とした人々への手向け。激しさを増す音楽に合わせ、ジェルメーヌは内なる感情を動きにして爆発させる。そのあとに訪れる、自分の内を旅するかのような静謐なシーン。その旅は連綿と歴史を紡いできた祖先へと繋がり、ジェルメーヌは舞台に赤い花びらを撒く。そこには伝統宗教ブードゥーやセネガルの詩人ビラゴ・ディオプの詩などの、アフリカ文化が反映されている。
だがこの作品に反映されているのは、土地を仲立ちとした文化に留まらない。最後はアメリカの歌手ジョニー・キャッシュが歌う『Hurt』が流れ、そのあと映像を背景に、いつか死が訪れることを理解しながら、「今はまだそのときではない」と生をまっとうしようとする姿を、ジェルメーヌが力強く繊細な動きで表現。コンテンポラリー・アフリカン・ダンスの最前線を体感する時間となった。
『オマージュ・トゥ・ジ・アンセスターズ』の終幕とともに休憩が挟まれ、舞台上にはスタッフによりシートが広げられ、その上に大量の土が敷き詰められていく。
そして『春の祭典』が幕を開ける。バレエ音楽として名高いストラヴィンスキーの『春の祭典』に、ピナが振り付けをした1975年初演作品。描き出されるのは、儀式の生贄に乙女を捧げようとする人々、そして生贄に選ばれて死へ疾走する乙女の姿だ。
赤い布に横たわる一人の女。その周囲で動き回る女たちは、自分の身体を確かめるように触り、熱を帯びた群舞を見せる。赤い布に気づき、不吉なもののように手放す女。腕を前方に伸ばし、力強い上下の動きで踊る女たち。そこに混ざり合う男たち。
身を寄せ合う女たち。そこから男へ近づき赤い布を手渡そうとする女が現れては、集団に逃げ戻る。ついに一人の女が赤い布を男に手渡すと、ほかの女たちは男たちとペアとなり、女の周囲を踊り始める。そして赤い布を手渡した女はそれを着させられる。赤い布はただの布ではなく、生贄の装束だったのだ。捕らわれ、人々に犠牲になるよう詰め寄られる女。ここで描かれる男女、そして個人と集団の対立の背後にあるのは、自らのために他者を生贄にする人間の業だ。
生贄となった乙女は恐怖と絶望を露わにするが、意を決して腕を突き上げ、身体を痙攣するように縮ませ、腕を回し身体を回転させ、虚空を威嚇するように両手を広げる。もがき苦しんでいるようにも、助けを求めているようにも、諦念の中、生を燃やし尽くそうとしているようにも見える。土の上に倒れて立ち上がり、最後は起き上がることなく死を迎える乙女。そして暗転した瞬間、会場に万雷の拍手が鳴り響いた。
伝統舞踊、コンテンポラリー、ヒップホップなど、多彩な出自のアフリカンダンサーたちが『春の祭典』を踊ることでより明確になったのは、これが国や時代を超え、普遍的な人間と社会のありようを抉り出す作品だということだ。ピナの創作における人間への透徹した眼差しは、この作品に鋭い批評性を与えており、今回のカンパニーはその継承に成功している。そしてこの成功は、ピナの『春の祭典』が古典として継承されるのにふさわしいものであることを、改めて証明したといえるだろう。
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