SHIBUYA PARCO 50th HISTORY

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1970

1973年、渋谷パルコ誕生。
「すれ違うひとが美しい」。代々木公園に向かう坂道・公園通りを中心に、新しい「若者の街」へ

戦後の闇市から萌芽した駅前の賑わい。飲食店が密集する「呑んべい横丁」、「しぶや百軒店」、「円山町」への広がり、一方で、宮益坂から青山・六本木・広尾へと延びるエリアは、外国人居住地が多くインターナショナルな香り漂うなど、多様な顔を持ち、発展してきた街、渋谷。
渋谷PARCOの誕生をきっかけに、代々木公園に向かう「区役所通り」が公園通りとなり、坂の中腹にはサブカルチャーの拠点ともいえる小劇場「渋谷ジアン・ジアン」、センター街からの路地はスペイン坂、東急ハンズのある坂道はオルガン坂など、点から面へと繋がり、“渋谷の街の劇場化”がはじまった。

1980

「人並み」から「差別化」へ、
“消費”の個人化・多様化が進み、
ファッション=自己表現の時代へ

政治経済が安定期に入り、生活が豊かになるなか、「人並みのモノを持ちたい」から「人とは違うモノが欲しい」という消費の差別化の時代へとシフトしていった。なかでも個人消費を象徴する記号としての“ファッション“が一般化。日本発のデザイナーズブランドも多数登場し、服だけでなく、クルマや食、家具・家、ライフスタイルへと拡張していった。
渋谷PARCOも男女問わず大人から子どもまでをオールターゲットにファッション、ライフスタイルを提案した。

1990

クリエイティブな個の発信、渋谷を拠点としたストリートカルチャーの時代へ。

1980年代後半~1990年代は、音楽、写真、アート、映画など、カルチャーの領域でインディペンデントなクリエーターが多数生まれた渋谷の街。そんな環境に呼応するように、渋谷PARCOは1988年にライブハウス渋谷クラブクアトロ、1999年に単館系映画館シネクイントをオープン。PARCOギャラリーでの写真展や展覧会、書籍なども大好評。若者のファッションとカルチャーの情報発信装置を多層化していった。

2000

イノベーティブな街「SHIBUYA」から起きる、
モノやコトのフラット化を予見。

“ビットバレー構想“にわいた2000年前後の渋谷の街。新しいビジネスモデルを掲げた若手起業家が急増したことで、街が一気に世代交代し、イノベーティブなムードに変化した。2003年、渋谷PARCOは開業30周年を迎え、新しい若者世代を対象にハード・ソフトともに大改革。2002年春には渋谷ZERO GATEをオープン。女性誌の“赤文字系“と“青文字系”の境目が溶解したこの時代、多様なカルチャーをミックスした実験的な取り組みを行なった。

2010

グローバリゼーションと価値観のフラット化
誰もが情報発信者になれる時代に。

スマートフォンなどのデジタルデバイスとそれに伴うSNSの普及が加速化した時代。情報の発信者と受信者、トレンドの時間軸がシームレス、かつフラットへと進化した。コミュニケーションのスタイルもビジュアル中心になり、多様な価値観がタッチポイントによる「いいね」でポジティブにつながる場所や空間を超えたネットワーク型へとシフトしていった。
そんな価値観の大転換は、東京・渋谷を中心に活躍する若手デザイナーやクリエーターら=“ニューエージ”から始まった。「シブカル祭」をはじめ、「絶命展」や「渋ポップフロア」など新業態によるカオスな渋谷PARCOは海外からも注目されるようになっていった。

2020

ポストCOVID19で再解釈される都市とモビリティーズメディア都市“SHIBUYA”と、ファッション・カルチャーのレジリエンスのタームへ

大規模再開発が続く東京・渋谷。2019年11月、新生・渋谷PARCOがオープンした。キーワードは、FASHION、ART&CULTURE、ENTERTAINMENT、FOODS、TECHNOLOGY、SUSTAINABLE。ファッションとカルチャーが融合する唯一無二の“TOKYO FASHION”のショーケースの誕生となった。
2020年4月、COVID19により緊急事態宣言が発令。おうち時間で見直された東京ローカルとコミュニティ、個と社会・都市、そしてVRやAI等など、国内外の新世代のクリエーターや“ジャパノロジスト”らとともに、“TOKYO FASHION & CULTURE”のレジリエンスのタームが始まっている。

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