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COLUMN

届かない手紙を書くよ

ごめんね、すみません、申し訳ありません。職場で、LINEで、コンビニで。お詫びの言葉を言わない日はないのではないか。でも言えるうちはいいのである。言えなかったごめんねが、ある。名前がついていない色の紙吹雪のようなよるべない気持ちが宙に舞っては、はらはらと墜落していく。

中学校の部活で、友達ができた。小学校から中学校にあがるとき、「中学校は上下関係が厳しいらしい」「制服を着崩しすぎるのはいけない」「こわい人がいそう」などの噂にとらわれて考えすぎた結果、うまく人間関係を築くことができなかった。教室で、いちばん小さな声で笑うことしかゆるされていないと感じていたわたしは13歳のおばけみたいで(実際に、記憶のなかのわたしは昼休みの教室で腕がだらんと胸の前でたれているのだ、シーツをかぶったおばけのそれみたいに)、だけど息をすることができたのは、日記に書いてなくたって、写真に記録されてなくたって、誰に証明してもらわなくたって、あの友達のおかげだ。

家の電話でほぼ毎日長電話する。逆方向の家なのに部活帰りに彼女の自宅までお喋りしながら歩く。お互いのあだなではなく名字に「さん」付けで呼び合うことの特別感。クラスが違うわたしと廊下ですれちがうとき、自分と並んで歩く友達に「野村さんは本当に面白いんだ」と言ってくれる。多くの人に「評価」されなくてもわたしを信じて、安全なスペースをつくってくれる。

中2、中3。毎年クラス替えがあるこの学校で、状況は変わっていった。変わっていったというより、変えていったというほうが近いのだけど、友達も増えたし変化した。中3の初夏の休み時間、「ゆめ、次の授業一緒に移動しよう」といちばん大きな声で笑うことをゆるされているグループに呼ばれてから、中学時代の光量はぐんと増した。

だけど、そのころから、彼女の記憶がどんどん薄れていった。廊下ですれちがうたびにエアの吹き矢を飛ばしてくること。手入れをしていない眉毛。当時の感覚だと短すぎる靴下の丈。そういうものたちを彼女が誇りに思っていたことを知っていたのに、どこか苦々しく感じて、曖昧な表情でやり過ごしてから。「別離」という言葉があるけれど、明確にそのときを意識できている「別れ」に比べて、はっきりとお別れをしないままいつのまにか遠くなってしまった「離れ」のほうがずっと侘しい。いつ離れてしまったのかも定かではなく、また会おうねと約束もせず、居場所をつくってくれたことへの感謝も伝えず、フェードアウトしたまま20年経った彼女との関係は、後者だった。

これは、どこにでもある、よくある話だと思う。だけどこんなにありふれた話でさえ、一度きりの人生でわたしたちは、うまくやるなんてことができなくて、痛みをともなう思い出をつくってしまう。心からの「ありがとう」と「お詫び」は紙一重で、深く感謝している相手ほど、大きなお詫びをしなくちゃいけないできごとが起きたりする。というか彼女への気持ちが、お詫びなのかも正直わからない。やっぱり感謝でもあるのだ。そのときのタイミングや自分の能力が影響して、愛を感じている人に、いつも最善で、最適な距離で、お詫びを伝えられるとはかぎらない。だからお詫びの気持ちに気がついたときに、その場所で行動できることをいましたい。

彼女と離れていま暮らしてる。だから届かない手紙を書くよ。

野村由芽(のむら・ゆめ)

編集者。2017年に自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ『She is』を二人で立ち上げ、編集長に就任。