引っ越し|ふと、ギフト。パルコ|PARCO GIFT 引っ越し|ふと、ギフト。パルコ|PARCO GIFT

COLUMN

引っ越した人に、
100本の花束を

引越しをした人は、全員えらい。間取りをチェックし、内見をして、不動産屋さんとかけひきのような対話をし、慣れ親しんだ部屋や窓からの景色や道と手をふって、ダンボールの山と格闘して、そうやって新しい生活にそっと踏み出していく。街のどこかで毎日おこなわれている引っ越しはあまりにも日常的な光景で、時間を前に進めるものではあるけれど、前進することが人に傷を残さないということではない。わたしは引っ越しをした人全員に、その人に似合う花を100本選んで、花束にして贈りたい。それほどの偉業だと思っている。

そんな思いがあったから、去年、パートナーと結婚したタイミングで引っ越しをしたとき、わたしたちは自分のための引越し祝いを盛大に買った。ポルトガルの女性が手織りしたラグ。これさえ置いていれば「どこの?」とよく尋ねられるというサンタ・マリア・ノヴェッラのポプリ。『ホーム・アローン』みたいなL.L.Beanのパジャマにガウン。「有名な入浴剤と同じ成分だからこのふたつをお風呂に入れれば気持ちいいはず」と説得されたクエン酸と重曹。ふたそろいのカトラリー。からだをあたためるための十数種類のお茶。机と椅子。

同じくらい、たくさんのものを手放した。お互いの旅のおみやげ……たとえば「THE」をかたどったオブジェや、狐や天狗のお面(たしかタナカカツキさんの『逆光の頃』に影響されて買ったものだ)のように、無駄という概念にその一瞬の煌めきのすべてがつまっていた旅の思い出。大学生の頃から使っていたマスタード色の冷蔵庫。パートナーがかつての恋人と一緒に寝ていたことのあるベッド。わたしの昔の恋人が置き忘れていったセクシーなビデオ。エトセトラエトセトラ。

久しぶりに見つかって、まだそばにいたいと思うものたちも、あった。パートナーの亡くなった祖母が送ってくれた手紙。鉄分が足りないわたしのために、母が送ってくれた南部鉄瓶。

そういう、自分の人生を通り過ぎていく/通り過ぎていったすべてのものたちの、そこに宿っている時間や記憶と、引っ越しのときには対面することになる。持つことと同時に、手放すことも覚えておかねばならないのが人生だったと、思い出す。だから引っ越しは疲れるし、引き裂かれて、泣き叫びたくなるような気持ちになるのであって、そうやって自分の歴史に向き合った、引っ越したばかりの人は、全員えらくていたわりたいと思うのだ。

引っ越した直後に、そばにいるものや人たちは、その人の人生のこの瞬間の、最大の味方なのだと思う。いままでの味方とは違うかもしれないし、これからもずっとそばにいられるわけじゃないかもしれない。だけど、いまはちゃんとそこにいるし、いつか「大切だった」と振り返ったときの本物の記憶は消えない。だから引越し祝いは、「いま」を祝うための贈り物として、大切な誰かや自分のために準備したい。自分にとっていま大事な人のことを祝う必要があるし、自分が生き延びるためにも自分で自分を祝いたい。あなたの贈る引っ越し祝いが、いまを生きる誰かの味方になりますように。

野村由芽(のむら・ゆめ)

編集者。2017年に自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ『She is』を二人で立ち上げ、編集長に就任。