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COLUMN

たい焼きの頭の方を

柿ピーのピーだけ食べても許してくれる人。キャラメルポップコーンの味のないやつを食べてくれる人。僕は尻尾の方が好きだと言って、たい焼きの頭を譲ってくれる人。出張が多くあまり家にいなかった父は、その罪滅ぼしの気持ちもあったのだろうか。一緒にいる時間がやってくるたび、私のことをハーゲンダッツ以上の糖度で甘やかし、敏腕営業マンにもやりきれないほどヨイショしてくれた。父の前にいる私はプリンセスで、空前絶後の天才少女だった。もちろん、そんな思い込みが通用しない世界の残酷も知っていたけれど、学校で仲間外れにされるたび、算数でひどい点数をとるたび、父の偏った励ましをお守りのようにぎゅっと握りしめていたように思う。私はきっと大丈夫。私はきっと価値があるから。

いつだって父の優しさやヨイショを掛け流し温泉のようにザブザブと享受してきた私は、当然のように父を尊敬するようになった。反抗期は見事なまでにスルーして、そのかわりに味噌汁に七味をぶっかけて辛死したり、急にダークチョコレートしか食べなくなったり、飛行機で絶対に通路側に座りたがったりして母を困惑させた。これらの奇行はすべて父の真似ごとだった。

父のようになりたい。そう思いながら、結局未だに父の後ろ盾や助け舟に救われてばかりの人生だ。お父さん、今までありがとうございました。そう結婚を機に自立の意を表明してみたものの、父がスーパーヒーローであることは変わらない。今の今だってそう。さっきスマホを見たら父からLINEが届いていた。「マスクがなくなったり困ったことがあったら、相談してね。何とかするから」。うん、ありがとう。何とかするから、の重みが違う。

しかしそんなスーパーヒーローが同時にひとりの人間であったことも、今になってようやくわかってきた。本当は父だってもっとピーナッツを食べたかったし、キャラメルのついてないポップコーンは鳩にでもあげてしまいたかったはずだ。それなのに、いいほうは全部私によこして、味のない方ばかりを我慢して頬張ってくれていた。それは、大げさに言えば、相手の幸せのためなら自分を犠牲にしてもいいという考え方だ。まあ、おやつのおいしいところくらい子供に譲ってくれて当然よね、と思わないこともないけれど、子供がいることで諦めたことや叶わなかったこともあったのだろう、と自分が子供をもうけうる年になった今、強く思う。

今年の父の日は、たい焼きを持って父の家を訪ねようかな。上等な香ばしいたい焼きを何匹も買い込んでまだ熱の残る紙袋を食卓でわっと広げる。そして大人ぶった余裕の態度で父にこう伝えるのだ。「頭の方は全部食べていいよ。尻尾の方が好きだから」と。

平野紗季子(ひらの・さきこ)

フードエッセイスト。小学生の頃から食日記をつけ続ける「平成のごはん狂」。雑誌などで連載を持つほか、イベントの企画運営・商品開発など、食を中心に活動中。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)がある。

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