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COLUMN

おばあちゃんとお母さんに質問があります

 自分なりの理由に納得しないと、行動できない。昔からそういう子どもだったと、母からきいた。なぜ子どもをうむのか? さまざまな事情があるなかで、出産をしたら自動的に「おめでとう」なのか? 誰に「おめでとう」なのか? そういうことが、わたしはまだわからない。

 父、母、妹、猫。わたしたちの家族なりの衝突や葛藤はあれど、思いかえすと「女の子だから」とジェンダーを理由に行動を促されたり制限されたりすることがない家庭だった。母方の祖母は感性がみずみずしく、ある日その理由を問うたら「子どもの頃から文学少女で背伸びした本を読んでいたしいまも『いま』に関わる本を読んでいる。だからあなたのような人を応援するしこうでなきゃいけないなんて絶対言わない。女の人が縛られるのはしんどいよね」とこたえるような人だ。

 「家族」に「はやく子どもを」と言われてこなかった尊重の事実はわたしをのびのびと泳がせてきたけれど、「言わない」ことは「思わない」ことではないと、自分の体験からも知っている。わたしは自分が子どもをうむ理由が、いまはわからない。だから自分を誕生させた祖母と母に、出産時の記憶について質問をした。なかにはこたえてもらうことを怖いと感じる質問も交えたが、いつかはききたいと思っていたことだった。

・なぜ子どもをうもうと思いましたか?

祖母:当時は結婚して子どもを産むのはごくしぜんなことだった。夫と自分の命のバトンとして子どもを授かりたかった。
母:正直に言うと、結婚して10月に引っ越して誰も知り合いいなくて、〇〇(夫)が会社に行ったら1人きり。携帯もPCもない時代、翌年5月から仕事が決まってて1月くらいに妊娠判明、えっ、いま? って、びっくり動揺。でもじわじわ楽しみになってきて。どんな子かなあとか、なんだか1人でいても淋しくないというか。拠り所ができた感じ。

・出産時にどんな喜びと苦しみが、あるいはその他の印象的な感情がありましたか?

祖母:悪阻はくるしかったけれど、お腹が大きくなり、胎動を感じ始めると、夫もおなかに手や耳を当てて、一緒によろこんだ。2人の絆が一層、強くなった。
母:嬉しいやら「この子を育てられる?」と怖いやら複雑だけど、かわいいなあって思うのが一番だったかな。

・子どもはその後の自分にとって、どんな存在になりましたか?

祖母:子どもは親から巣立って行くものと割り切ること。巣立ちを喜ぶ親でいたいと、自分を励まし続けた。自分が老年期になって、逆に子供や孫たちに、気遣ってもらう立場になったが、自立しながらも、いざというときには、助けてね、と、素直にお願いしている。
母:いろんな世界を見せてもらえて面白かったし、嬉しいことや誇らしいことをもたらしてくれる、ギフトな存在。大きくなるにつれて、自分の思い通りになるわけじゃないとわかってはいるものの、自分の未熟さを突きつけられた。そして自分ができなかったことを子どもで再現していた面も否定できない。期待に応えられる力があったのが、幸か不幸か。だけど決裂に至らなくてよかった。

・子どもをうまないことについて、また、わたしが子どもをうむかうまないかについて、何か思うことはありますか?

祖母:本音を言うと、おばあちゃん、お母さん、由芽ちゃんと命のバトンを繋いでほしい。大変なのは2、3年。30代で出産すればいいな、と思う。でも、それは、おばあちゃんの願望。由芽ちゃんの人生だから、パートナーと相談しながら決めればいい。強制はしません。プレッシャーもかけません。由芽ちゃんの自由です。ただ、付け加えたいのは、命のバトンが繋がって、私の老年期が一段と豊かになったこと、両手を広げて、踊り回りたい気分です。
母:当時の風潮では、女性は結婚して子どもを産んで一人前ということが当たり前に言われていた。個人的には当たり前と思ってはいなかったけど……。いまは、もう多様性の時代だし、生き方は自分で決めることだしね。それぞれを尊重すればいいんじゃないかな。

 文字数の制限をふまえ、一部の質問と回答は編集しているが、回答をもらってからしばらく原稿が書けなかった。祖母や母のことを、知っていることしか知らず、白紙の前で立ち尽くして。

 祖母と母から言葉をもらって感じたのは、彼女たちの言葉と思い出は彼女たちだけのもので、わたしを含めて誰もとやかく言えないということだ。たとえば、子どもをうむのが当然だと思っていたこと、命をつないでほしいと願っていること。それはいまの時代においては体調や経済面、パートナーとのめぐり合わせなどの「特権」をもった人の言葉ともとれるかもしれないが、同時にいまとは異なる時代や書かれていない体験(そこには戦中・戦後、あらゆる死別も含まれる)を生き抜いた個人の何にもかえがたい実感であり、そこで得たものを他者に強制しないかぎりは、守られるべき想いであり記憶だ。誰かの記憶を土足で断罪するとしたら、そんな歯切れのよいものは「多様性」ではないだろう。

 ひとたび個人の記憶に潜り込むと鮮やかさを増す、悩みやおそれ、悲しみ、怒り、戸惑いの道に、途切れながらも見出した喜びを自分だけの真珠の首飾りのように繋いでいまを生きるその過程をことほぐことなら、わたしにもできる。子どもをうむこととうまないことは、大きな分岐のひとつではあるかもしれないが、その分岐はまっぷたつしかないわけではないだろう。回答をもらったあとすこし経って祖母から届いたLINEは「わたしたちは、祖母と孫ではなく、心友。お互いにわが道を進みましょうね」というものだった。

 うまれることをおもうとき、死を同時におそれるわたしは、「死はうまれる前に戻るようなものではないか?」とかつて人から言われたことが忘れられない。今回、祖母と母の出産の記憶をきくことで、自分がうまれる以前の祖母と母に出会い、その未知とすこしばかり繋がる感覚があった。いまを生きながら、過去や未来に、繋がれるという実感。ならば、子どもをうんでも、あるいはわたしがここで消えてしまっても、いつかまた祖母や母やあなたたちに出会えるのではないだろうか? 生が永遠でないことは明白だけど、一度でも存在したかぎり、子どもをうもうがうまなかろうが、繋がれてきた炎も、その人がその人である炎も絶えないのではないか。

 うまれたり、消えたり、おもいだすわ、ひとつのこえ。

 ここにいることに、おめでとう。

野村由芽(のむら・ゆめ)

編集者。カルチャーメディア「CINRA.NET」に所属し、クリエイターやアーティストの取材・執筆を行うほか、2017年に自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ「She is」を立ち上げ、編集長に就任。

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