GIFT for ありがとう|ふと、ギフト。パルコ|PARCO GIFTGIFT for ありがとう|ふと、ギフト。パルコ|PARCO GIFT

COLUMN

ありがとう

目には見えない気持ちを伝える。想っているだけでは伝わらない。
想っているだけではだめなのだ。
きっと伝わるはず、わかってくれるはず、と考えるのは、傲慢なことなのだ。
わかっている。
そんなことは、わかっているのだ。
しかし、わたしはそれをついつい忘れて、気持ちを伝えそびれてしまう。

先日、お義母さんが、タクシーに忘れた携帯電話を運転手さんが家まで届けてくれたお礼に、翌日わざわざタクシー会社までケーキを届けにいっていた。
かっこいい。
友人は、レストランでの接客があまりに素晴らしいときには、必ずその人の名前を覚えて、ちゃんとお礼の投書をするの、と教えてくれた。
憧れる。
わたしも、そんなことができる人になりたい。

いや、実際には、そんなのハードル高すぎるかもだけれど、せめて、ちゃんと、ありがとう、を言葉にして伝えられるような、人になりたい。

ニュースには悪いことばかりが載るし、文句の声ばかりが大きく聞こえたりする。
けれど、ちゃんと嬉しかったときや、感謝の念を抱いたときには、ありがとう、を伝えるというのはすごく重要なことな気がする。
ありがとう、の署名運動があったら、わたしはぜひともそれに参加したい。

いまは、亭主関白宣言の歌みたいな旧時代ではない。
わたしたちが生きるのは、21世紀なのだから。
一日をなんとか無事に生きのびられていることも、愛されていることも、だれかと一緒にいられることも、決して永遠ではないし、当たり前ではない。
一瞬一瞬が、実のところ、奇跡みたいなことのはずなのだ。
苛立ったり、態度悪く過ごしてしまうことも、ままあるけれど。

ありがとう。
その気持を、あたりまえに、やり過ごさない。
言葉や身振りにして伝える。
SNSのスタンプみたいに、ありがとう、の言葉とともに派手なダンスをしなくても、巨大な花束を贈らなくてもいい。道で摘んだ小さな花をひっそり手渡せるような人間になりたい、とわたしは思う。

小林エリカ

作家/マンガ家。 著書は小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)(第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補)、短編集『彼女は鏡の中を覗きこむ』(集英社)、アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、"放射能"の歴史を巡るコミック『光の子ども1,2』(リトルモア)、作品集『忘れられないの』(青土社)など。
市原湖畔美術館「更級日記考―女性たちの、想像の部屋」(2019.04.06.Sat. – 07.15.Mon)のグループ展に参加します。