お中元|ふと、ギフト。パルコ|PARCO GIFTお中元|ふと、ギフト。パルコ|PARCO GIFT

COLUMN

お中元の精神性

 北海道で気温30度超えを記録した5月下旬。心地よい初夏の風はどこへやら、東京も数日暑い日が続き、コンビニエンスストアのアイスクリーム・コーナーは早くもスカスカになっていた。このいち早い気温上昇ですっかり夏気分になったという方も少なくないだろう。気が早い夏とでも呼びたくなる高い気温は、梅雨を飛ばして本物の夏へと意識を向けさせる。海へ山へのショートトリップ、あるいは野外音楽フェスティバル、花火大会――頭の中が夏のイベントでいっぱいになってしまった人も多いにちがいない。

 こうしたいわゆるイベントのほか、夏には夏の行事というものがある。わざわざイベントと行事を分けて書いたのは、行事(年中行事)と称される事柄は元来は神事とのかかわりが深いからである。すなわち〈毎年、日を定めて繰り返し行われる神祭りのための一連の行事を年中行事と称する〉(『年中行事の民俗学』谷口貢/板橋春夫編著、八千代出版刊)。わかりやすいところだと夏祭りやお盆などがこれにあたるわけだが、お中元も実はそうした性格をうっすらと宿しているといったら驚かれるだろうか。

 お中元の「中元」は「上元」「下元」に対応するもの。上元とは1月15日、下元は12月15日のことで、その中間だから7月15日は中元と呼ばれる。ここでの月は旧暦、すなわち月の満ち欠けに則ったものであり、〈本当は満月の頃に当たるので、神祭をする日であって、贈答の日ではなかった〉(『東京生活歳時記』社会思想社編、刊)。ところが〈仏教が広まってから中元を盆といって、寺参りするように教えられてきたが、神祭で、神の魂を祀ることを、先祖の魂に仏道ではすり替えて、仏家の生計の足しにする政略にした〉(『東京生活歳時記』)という。先に引いた『年中行事の民俗学』によれば、お盆には「めでたい盆」と「寂しい盆」があるそうで、前者を吉事盆、後者を新盆と呼ぶ。吉事盆はいわゆる先祖の霊が対象で、1年以内に亡くなった方の家では新盆、つまり「寂しい盆」となる。いずれも盆見舞客は贈答品を持参するのが常だ。これに加えて「生き盆」ないしは「イキミタマ」と呼ばれるものがある地域もあって、これは親が健在な子が親に生魚、とりわけ鯖を贈答するのだという。こうしたお盆――旧暦の7月である――の贈答の習慣と、旧暦7月15日の中元がいつしか合体し、世俗化したものが現在のお中元というわけだ。先の『東京生活歳時記』では〈したがって中元は商人と坊さんの喜ぶ時といってよい〉などと書いていて辛辣だが、書かれた当時(この本の初版は1969年)のお中元商戦がいかに盛況を極めていたかをうかがい知ることができよう。

 私が子どもの頃などは、お中元とお歳暮の時期は百貨店だけでなく個人商店も賑わっていた印象だが、今は商店に代わってオンラインショップということになるのだろうか。いずれにしても、この時期になるとお中元、お中元とあちこちでよく聞くようになる。現代的な意味でのお中元は〈目上の人や先輩、そして日ごろ世話になっている上司や親に贈答して感謝の気持ちを表す習俗〉(『年中行事の民俗学』)とされ、仕事上の付き合い、取引などと関連して贈答される場合が多い。とはいえ、終身雇用が遠のき、労働力の流動性が高く、働き方も昔とは違う現在、お中元に縁のない人は確実に増えているように思う。

 かようにひと昔前の習慣とでもいえそうなこのお中元だが、その精神性だけを抽出すれば、実は贈り物の見事な口実になる。ちょっとした感謝の気持ちをお中元と称して渡すのだ。この際、格式張ってのし紙などつけなくてよろしい。たとえば先に記した「生き盆」に倣って、親に魚モチーフの何か(もちろん生魚だって構わないが)を贈るのもいいだろうし、いつも話を聞いてくれる友達に些細なプレゼントなんていうのもいい。突然の贈り物に驚かれ、理由を聞かれたら、お中元だといえばいいのである。ちなみにお中元にお返しは不要。よって変な見返りを期待してはいけないのを頭の片隅に。

青野賢一

セレクトショップ「ビームス」にて、個人のソフトを社外のクライアントワークに生かす「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門「ビームス レコーズ」のディレクターも務める。ファッション、音楽、映画、文学、美術などを横断的に論ずる文筆家としても知られ、現在『CREA』(文藝春秋)、『ミセス』(文化出版局)などで連載を持つ。DJ・選曲家活動は今年で32年。