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COLUMN

機能がないものの魅力

フランス南東部のドローム県オートリーヴ村にある「シュヴァルの理想宮」は、同村で郵便配達員として働いていたジョゼフ=フェルディナン・シュヴァルが、一人で石を拾い集めて建てた建造物である。ある日、郵便配達の途中で奇妙なかたちの石に躓いたシュヴァルはその石を持ち帰る。このことを契機に「理想宮」造りに取り掛かったシュヴァルは、郵便配達員を続けながら、来る日も来る日も石を運んでは積み上げた。1912年、東西26メートル、北14メートル、南12メートル、高さ8~10メートルの理想宮が完成。1879年の着工から実に33年間を費やしている。

建築に関する知識を持ち合わせていなかったシュヴァルが造り上げたこの理想宮の意匠には、古今東西さまざまな様式やモチーフが混在している。それらのイメージのもととなったのは絵葉書や雑誌で、シュヴァルはこうしたイメージソースを頭の中で独自に再構築し、自身の理想を現実のものとしたのであった。

現在公開中の映画『シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢』は、シュヴァルの半生と彼の家族の姿を、実際の理想宮で撮影し描いた作品である。シュヴァル本人と見まごうようなジャック・ガンブランのなりきりぶりも印象的な本作では、この理想宮がシュヴァルの幼い娘・アリスのために造られたものでもあったということが明らかにされる。シュヴァルは人付き合いが苦手で、自分の娘とのコミュニケーションも思うようにはならない。そんな不器用なシュヴァルが、自身の夢想をもとに娘のことを思って造り続けたのがこの理想宮なのである。

先に述べた通り、シュヴァルの理想宮ではさまざまな様式やモチーフ――動植物、神話の登場人物、怪物といった彫刻、彫像、イスラムやヒンズー教の寺院のディテールなど――が渾然一体となっているのだが、この建造物には完璧なまでに機能がない。本来は祈りを捧げるためにある教会や寺院は、ここでは部分として切り取られ、宗教的な機能から解放されて、全体の一部を構成するディテールとして存在するばかりだ。そうした、機能と無縁の部分の集合体たる理想宮が一切の機能を有さないのはいうまでもないだろう。なにしろ理想宮は夢の具現化であり、また娘のための巨大な遊び場なのだから。

機能のあるものの使用法が限定的である一方、機能を与えられていないものは、なにもないがゆえに無限の可能性を秘めている。見た人、触れた人のイマジネーション次第でいかようにもなる自由さがあるのだ。合理的なものや機能性を謳ったものが世に溢れる現在にあって、機能を持たないオブジェ的存在――たとえばアート作品やプリミティヴな玩具といった――は、ますます魅力的に映りはしまいか。そうしたものを通じて、マニュアルや既成概念にとらわれない子どもの頃のようにイメージの世界に遊ぶのは愉しくも豊かな時間の過ごし方といえそうである。

ところで、「子どもの頃」と書いたが、還暦を迎えた人が赤い頭巾や赤いちゃんちゃんこを身に着けるのは、ふたたび赤子に戻るという意味からなのをご存じだろうか。干支というのは「子」「丑」といった十二支と「甲」「乙」「丙」などの十干を組み合わせたもの。生まれ年の干支がもう一度巡ってくるのは12と10の最小公倍数である60年後、すなわち満60歳のときであって、これを称して還暦というのだ。その意味から60年かけて干支を一周し、新たなスタートラインに立ったこの60歳の赤子への贈りものを考えるならば、子どもの感覚で楽しむことができる、機能から解放されたものがよさそうだ。長らく生産性や合理性を求められて働いてきた人が、無垢な時間を取り戻せるようなものが。

青野賢一

セレクトショップ「ビームス」にて、個人のソフトを社外のクライアントワークに生かす「ビームス創造研究所」に所属するクリエイティブディレクター。音楽部門「ビームス レコーズ」のディレクターも務める。ファッション、音楽、映画、文学、美術などを横断的に論ずる文筆家としても知られ、現在『CREA』(文藝春秋)、『ミセス』(文化出版局)などで連載を持つ。DJ・選曲家活動は今年で32年。