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COLUMN

まるで、大人みたいだって。

なんで自分たちが浮かれているのか、関係ないのではないか、と、我に帰る瞬間がいつきたっておかしくない、そんなクリスマスのきらきらした街が好き。イエスキリストの生誕祭で、サンタクロースの逸話があって、というのはわかるけれど、でもそれとコロッケ屋はなにが関係あるのだろう。屋根に巨大なイルミネーションが巻き付けられている。スーパーのレジには、リボンの飾りが必ずある。大人が「よし、浮かれよう」と決めたらここまでやりきることができるのだ、と毎年見せつけられているような気持ちになった。
クリスマスプレゼントがもらえるのも嬉しかったけれど、私は、この大人の本気を見られるイルミネーションや飾りがなにより好きだった。なんでやねん、あほみたいやなあ、なんてことは思わなくて、こういう瞬間の大人に、心の底から憧れていた。現実を見ているし、安全や安心を重視する。しっかりしていて、将来のことまで見据えていて、とか、そういう大人がなんだかんだ、自分の延長線にいるんだってことがわかるから。大人にいつかなるなんて信じられないなあ、とずっと思っていた私は、浮かれる大人を見るとほっとしたし、浮かれることに本気であるのを見ると、ライバルを見つけたようにわくわくもした。これぞ大人だ、と思っていたんだ。

11歳のとき、これまでのお年玉の貯金を使って本物のモミの木を買ったのも、きっとそうした思いがあったから。あれが私の最初の「自分へのクリスマスプレゼント」だった。モミの木に飾りをつけて、本物のツリーが作りたい。私もクリスマスには本気です、ということをこの世の中に証明したい。それは私なりの背伸びだった。夢いっぱいの子供の買い物にしか見えないが、私は、モミの木を買ったとき震えました。まるで、大人みたいだって。

2019のクリスマスが来る。大人が本気でクリスマスをやるとき、大人が本気で夢を信じているだなんて、当時の私も思っていなかった。現実があるのだ、次のお正月のことも考えなくちゃいけないし、クリスマスにも慣れて飽きていたりする、みたいなこと、たぶん知っていた。でもだからこそ当時、私は背伸びをしたいと思った。美しいではないですか、楽しいではないですか、たとえ面倒でも、退屈よりは、ずっと素晴らしいではないですかと、思えることは、それだけで財産なのだと、あのころの私は(たぶん今よりも、この先の年老いた私よりも)ようく知っていたのだろう。あのころ胸にあった、むき出しの真実みたいなものが、クリスマスの光にそっと、くすぐられていたのだと思う。

最果タヒ 最果タヒ

最果タヒ

詩人。中原中也賞・現代詩花椿賞などを受賞。2017年に、詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が石井裕也監督により映画化。2019年には、横浜美術館で個展『最果タヒ 詩の展示』を開催。主な詩集に『グッドモーニング』『死んでしまう系のぼくらに』『天国と、とてつもない暇』、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』『もぐ∞』、小説に『星か獣になる季節』『十代に共感する奴はみんな嘘つき』などがある。清川あさみとの共著『千年後の百人一首』では、小倉百人一首を詩の言葉で翻案している。http://tahi.jp